第二十四回 30歳直前の決意
■ノイローゼ状態の29歳、彼女とも別れて……
――
前回は、「初めてのニューヨーク旅行でカルチャーショックを受け、それが大きな転機となった」というお話を伺ったのですが、やはりその旅行が、のちのアメリカ進出につながったのでしょうか。
ぜん
そうですね。ニューヨークには、30歳になるほんの少し前に行ったんです。30歳って、特別な歳やと思うんですよ。やっぱり、いろいろ考えてしまうやないですか。「自分は、このままでええんやろうか」って。
――
また30歳って、己と対峙せざるをえないほど状況が悲惨だったりするんですよね。
ぜん
そうなんです、そうなんです。その頃、9年つきあってた彼女とも別れてね。仕事はどんどんなくなっていってたんですけど、笑いというものには以前にも増して興味が湧いてましてね。家で*クリス・ロックや*ウエインズ・ワールドのビデオとか、そんなんばっかり観てたんですよ。彼女にしてみたら、そんなんぜんぜん興味ないわけです。ウエインズ・ワールドを観て「寒いやん、これ」(笑)。「そんなんええから、鑑定団観ようや」言うてね。
――
「笑い」って、そこが怖いんですよね。たとえ彼女や親友であっても、感覚を共有できないっていうだけで、いともたやすく心が離れ離れになりますもんね。
ぜん

いや僕としては、わかってほしいとは思ってなかったんです。そんな僕を、そっとしておいてほしかった(笑)。夜中にね、難しい顔をして、フランスの古〜いコメディ映画を観たり、*ピーター・セラーズの作品を観たり。そんな男、気色悪いじゃないですか(笑)。「もう、消してよ」って言われて。結婚しようかと言うてたんですけど、そんなんやらいろいろあって、彼女とは別れまして……。

――
30歳目前にして永年おつきあいした彼女と別れるって、キッツイですね。でも、それが「30歳になるということ」って気がします。
ぜん
いま考えたら、ほんまそうですね。自分を見つめ直すために、いろんな試練が一気に押し寄せたんちゃうかな。とにかく“笑いの真理”が知りたくて、しゃーなかったんです。「笑いって、なんやろう」「ぜんじろうの笑いって、なんやろう」、ひいては「ぜんじろうって、なんやろう」。それが知りたい。正直、芸人やのに、笑いというものからもっとも遠い存在におったと思うんですよ。遠いくせに、興味があったんです。そんなんで、当時は完全にノイローゼになってましたね。
――
自分を追い詰める時期ですよね……。
ぜん
そんなんで、紀伊國屋書店の宗教書コーナーに行きましてね(笑)。
――
あぁぁ〜。そこ行きますか! そこに行ってしまいましたか!
ぜん
はい(笑)。いや、ほんまはタレント本が読みたかったんですよ。やっぱし気になるし。でもタレント本のコーナーって、混んでるじゃないですか。人ごみの中でタレントがタレント本を立ち読みしてるっていうのも、ねぇ(笑)。それでタレント本を持って、宗教書のコーナーまで行ってから読んでたんです(笑)。
――
わはは! 確かに宗教書コーナー、空(す)いてますもんね。
ぜん
宗教書のコーナーって、だいたい上の階にあるんですよ。6階とか。行ってみたら、人がいなくてガラ〜ンとしてる。ええ感じなんです。そんでそこで立ち読みしてたら、釈迦の本があったんですね。ちょっと手に取ってみまして。
――
お!
ぜん
読んでみましたらね。釈迦って29歳で出家してはるんです。ここからが僕のアホなところなんですが、急に自分と釈迦がダブりましてね(笑)。「よし、自分も修業をしよう!」と。「笑いの悟りを開こう!」と。それで、アメリカに行くことを決めました。
――
それはまた、えらいきっかけだったんですね。
ぜん
それまでアメリカに行きたいとは思ってたんですけど、正直、怖くて行けない自分が半分いたんです。そんなウジウジしてる時に、後押しされましてね。釈迦に。だから僕にアメリカへ行くことを決意させてくれたのは、釈迦なんですよ(笑)。
――
確かに、それは誰よりもBIGな人からのアドバイスですよね。
■ある意味で「運」を開いたカルト番組とは
――
実際にアメリカに旅立たれたのは、その日からどれくら経ってからなんですか?
ぜん
3ケ月後くらいですね。
――
た、たった3カ月で?! すでに決まってる仕事がありましたでしょうに。
ぜん
その頃、テレビのレギュラー番組が1本あったんです。テレビ埼玉で『ウンバラ!』っていう番組の司会をやってまして。
――
ごめんなさい。不勉強で、その番組は知らないです。
ぜん
“開運バラエティ”の略で、ウンバラ。『恋のから騒ぎ』によう似た造りで、ただ違ってるところは、並んでる女性がみんな占い師なんですよ。それでゲストが相談を持ちかけて、寄ってたかって占うという。ゲストいうても、「あなた、誰?」っていう人ばっかりでしたけど。で、相談に対してパネラーの占い師たちがアドバイスするんです。鞠をついて、「鞠がこっちに転がったから、あんたはこうしなさい」とか。
――
うっさんくさいですね〜。でも、面白そうじゃないですか。占いが嫌いな視聴者はあまりいないし、いまやったら逆に流行るんじゃないですか?
ぜん
それがね、いかんせん、安っぽい(笑)。『恋のから騒ぎ』は、セットの真ん中に大きなモニターがあるじゃないですか。ところがこの番組は、真ん中に置いてあるのが家庭用の液晶テレビなんです(笑)。
――
家のテレビが真ん中に置いてある番組、ある意味、斬新ですね!
ぜん
しかも、テレビ画面をビデオカメラで撮ると、変な線が出るでしょ? 技術さんが「テレビの画面の線が出る」言うんで収録一回目からえらい揉めて(笑)。
――
カルトな番組ですね〜。観たかったな〜。
ぜん
そしたらある日、収録に行ったら、「収録がなくなった」って言われたんです。「3日後くらいにまたやるかもしれないから、スケジュール空けておいてください」って言われて、しゃーなく帰ったんですよ。でもその後、なんの連絡もない。おかしいなと思っててね。あとでわかったんですが、スポンサーが逮捕されてたんです。
――
え〜。
ぜん
そのスポンサー、一時期話題になったセックス教団やったんです。それで教祖が逮捕されましてね。
――
じゃぁ、マジで「カルト番組」だったんじゃないですか!
ぜん
そんなんで番組がすぐに終わって、これで晴れてアメリカに行けることになりましたわ。
――
でも、本当に「運バラ」的なお話ですね。釈迦がエセ教祖を排除したのかもしれませんよ。
ぜん
しかし不思議なんがね、出演してた占い師が、誰ひとり番組が終わることを予想しなかったことですね(笑)。
   
まさに釈迦が出家した同い年の29歳、ぜんじろうは「出国」を決意した。釈迦の教えは「縁起」(物事がお互いに関係しあっているという意味)によって成り立っている。さまざまな縁起のなか、ぜんじろうが弾き出した答は、アメリカ進出。笑いの真理を探すべく、ぜんじろうに旅立ちの時が訪れたのだ。
しかし、彼はその前にやらなければならないことがあった。吉本興業にこの決意を告げねばならない。30歳の大台を迎える前に、彼は果たしてどうしたのか。次回、同世代の方は特に注目です。
  *クリス・ロック
映画俳優、コメディアン、1966年生まれ、アメリカ・サウスカロライナ州出身。第77回アカデミー賞授賞式の司会に選ばれた。
出身は、アメリカのサウスカロライナ州だが、育ちはニューヨーク州のブルックリン。(今でも、ブルックリンに住んでいる)高校を卒業せずに、コメディクラブ回りを始めて、エディ・マーフィの「ビバリーヒルズ・コップ2」で映画デビュー。続いて、キーネン・アイボリー・ウェイアンズ主演監督の映画「I'm gonna git you sucka!」に出演し、「サタデー・ナイト・ライブ」のレギュラーに抜擢された。
マリオ・ヴァン・ピープルズの話題作「ニュー・ジャック・シティ」に出演し、話題になる。続いて、「CB4」で初主演に。キーネン・アイボリー・ウェイアンズ製作のエミー賞受賞番組「In Living Color」に出演したい為に、「サタデー・ナイト・ライブ」のレギュラーを降りる。1997年から始まった自身のコメディショー「The Chris Rock Show」が大人気になり、エミー賞も受賞。MTVビデオミュージックアワードの司会でも人気になった。2003年には「Head Of State」で、初監督も果たす。

*ウエインズ・ワールド
『オースティン・パワーズ』のマイク・マイヤースが、今でいうニートを演じるコメディー。

*ピーター・セラーズ  
本名はRichard Henry Sellers。両親共に芸人で少年時代から芸を身につける。一時弁護士を目指していたが、17歳の時に空軍に加わり慰問の仕事で人気を得て俳優の道を進むように。戦後、本格的にプロとして活動。スパイク・ミリガンらとBBCラジオに出演して名前が知られるようになりTVを経て51年に映画デビューを飾る。55年の「マダムと泥棒」でコメディアンとして高い評価を得て「ピーター・セラーズのマ☆ウ☆ス」では三役をこなしてアメリカでも評判となる。
日本では「泥棒株式会社」から人気が出始めたが、彼の代表作はなんと言っても「ピンクの豹」で演じたクルーゾー警部であろう。(その後計6本製作されたがセラーズ出演は『ピンク・パンサー4』まで)。一方キューブリックの「博士の異常な愛情」でも3役を巧みに演じてアカデミー主演賞候補になり俳優としての才能も発揮。晩年の名作「チャンス」でも同賞の候補になるなど、芸人としてのセンスの良さが伺い知れる作品に巡り会えた。ブリット・エクランドやリン・フレデリックなど4回結婚してエクランドとの間に生まれたヴィクトリアは後に女優になっている。持病の心臓病にから心臓発作を起こし80年に早すぎる死を迎えてしまった。


(以上、人名については敬称略)
 
TEXT■吉村智樹 テープ起こし■泡の屑 撮影■おーしま2号
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