第二十三回 島田紳助からの激励と、初めてのニューヨーク
■島田紳助が直々に頭をさげた出演依頼
――
前回はビートたけしさんとテリー伊藤さんについてお伺いしました。あと、やはり気になるのは島田紳助さんの存在です。『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』とともにに、*『紳助の人間マンダラ』にお出になられていましたよね? たけしさんと紳助さん、両巨頭の番組に同時期にレギュラー出演していたのは凄いと思うんです。
ぜん
あの番組は、紳助さんからお声がかかりましてね。お食事会をセッティングしてくださってね、「マンダラをもうちょっと盛りあげたいねん。ぜひ力を貸してくれへんか?」って言うてくださって。僕みたいな後輩に、頭をさげはるんです。
――
ええ!? じゃ、人間マンダラにお出になられたのは、紳助さん直々のスカウトだったんですか!
ぜん
「お前の自由にやってええから。もう俺なんか古いねん。力貸してくれ」っておっしゃって。そんなん普通、後輩に言わへんでしょう?
――
そうですよねぇ。
ぜん

スタッフをバーッと横に置いてね。「これからは、ぜんじろうやと思うねん」って言うてくれはって。そんなん……力なんて及ばへんのに。

――
いやいや、そんなことはないでしょう。
ぜん
ぜんぜん及ばないですよ。番組の最後まで出してもろうたけど、紳助さんも実は切りたかったんやと思いますよ。「やっぱり、ぜんじろうやないな。ぜんじろうの時代とちゃうな」って気がつきはったと思うんです。僕は途中からレギュラーにさしてもろうたけど、僕が出たからいうて視聴率はあがらないんですよ。それでも温情で置いてもらってるって、肌で感じるんですよね。
――
そんなことはないと思いますよ。だって人間マンダラだけじゃなく、*『関西人の脳みそ』とか、ほかの番組でも紳助さんはぜんじろうさんを起用していたじゃないですか。ぜんじろうさんのことを凄く認めていたと思うのですが。
ぜん
そうですね、ありがたい話で……。この前もね、たまたま恵比寿で会うたんです。わざわざ紳助さんが向こうからブワーッと走ってきてくれて、「ぜんじろう、お前、お前ぜったい才能あるからな。世間は認めてへんかもしれんけどなぁ、俺ずっとお前のこと考えてて、わかってん。お前、大丈夫やで。大丈夫や」とだけ言うて、またシュッと行きはるんです。
――
カッコいいですねぇ。それにずっとぜんじろうさんのことを気に留めてらっしゃったんですね。
ぜん
この間、和田アキ子さんからも電話がかかってきてね。留守電に入ってたんです。「ぜんじろう〜、紳助に聞いたで〜。あんた頑張ってるらしいな。頑張りや〜」って。紳助さんがあちこちで僕のこと言うてくれてはるんですね。売れてる人って、全員、人間的にすごくよくできてますね。悪い人はいないです。
――
え〜。なんて優しい。ありがたいお言葉ですよね。
■吉本の世代交代、そしてニューヨークでの原点回帰
――
ここからは、訊きにくいことを訊かねばなりません。往時そうやって多くの先輩たちから目をかけられ、確実に運気の波がぜんじろうさんに来ていたと思うんです。そして、あの……その……、その運を、手放してしまったっていうか……ごめんなさい。
ぜん
手放しましたね〜(笑)。
――
僕が大阪から東京に引っ越してくる時、「これでぜんじろうさんの番組がたくさん観られる」と思ったんです。そして東京に来てみたら……観られなかった。
ぜん
レギュラー番組がなくなってね。自分にはなんにも残ってないのに気がついて。
――
東京にあった吉本の劇場には出ていらっしゃらなかったんですか?
ぜん
銀座の七丁目劇場もなくなって、渋谷公園通り劇場も客が入らなくて支配人が変わったり、吉本も変わる時期やったんですよ。ちょうどナイナイ、ロンブーが世に出てきてね。世代交代ですよね。「あ、俺の人生、どうしようかな」って考えましたよね。30歳手前くらいの時でした。
――
ツライですね。自分のレギュラー番組が減るぶんには改編という現実があるから仕方ないと思えるでしょうけれど、プラス下の世代が台頭してきますもんね。ナイナイであり、ロンブーであり、同じ会社の後輩が自分の仕事を奪っていく。その現実をどのように捉えていらっしゃいましたか?
ぜん
一時は悔しいとも思ったけど……、あくまで一時的なもんですよ。自分がハタチ、20代後半の時なら『くっそ〜』とか思ったんですけど、30歳も目前になるとね、リアリティなくなってくるんです。後輩が売れるとか、なんとも思わなくなってくるんですよね。
――
なるほど。
ぜん
そのときもっと悔しがっていればよかったんでしょうね。僕はね、アホなんですよ。そん時、「海外や!」と思ったんです。もう日本のお笑いがどうのこうのじゃなく。
――
なぜそう思われたのですか?
ぜん
理由はいろいろあるんですけど、ひとつは、「自分って、なんやろう」と考えたんです。僕には形がないでしょう? 落語家でもないし、まして漫才師でもない。タレント……とも違う。そう考えていた時に、海外の*「スタンダップ」が自分に合うてるんやないかと思ったんです。例えば、エディマーフィーとか。
――
なるほど。確かにエディマーフィーの*『ロウ』を初めてみた時、ぜんじろうさんを思い出したんですよ。ひとりで速射砲のように喋り倒していく、あの感じ。
ぜん
それでね、エディマーフィーがスタンダップやってるビデオを海外から取り寄せてね。英語がまったくわからないんですけど、勝手に訳して、何度も何度もグゥーッて観て。「きっと、こんなこと言うとる」と思いながら。
――
うんうん。
ぜん
それだけでは飽きたらず、いっぺんほんまもんのスタンダップを観てみたくなってね。初めてニューヨーク旅行したんですよ。コメディクラブをまわりましてね。もう未知の世界。「うわ、これか!」と思ってね。ブワーッ、グワーッ、観まくってね。凄い衝撃でしたわ。
――
英語はおわかりになったんですか?
ぜん
いえ、ぜんぜん(笑)。ただ一緒に行った幼なじみがアメリカ留学の経験があって、英語が喋れてね。訳してもらいながら観たんです。そしたら、やっぱりおもろいんですよ、ニューヨークのスタンダップの人らの言うてることが。そして厚かましいですけど、「自分の言うてることと、そない変わらへん」と思ったんですよ(笑)。
――
入り込んでますね〜。
ぜん
もう頭おかしい。ふっと「あ、俺、ここで売れるんちゃうか?」って思ったんです。ノイローゼですわ(笑)。ただその時、お笑いの世界に入った19歳の時の自分に戻れたんですよね。「アメリカで自分を試してみてもおもろいんちゃうか? 試してみたい」と思いはじめてきたんですよ。
   
先輩たちの篤い期待に応えらないまま、後輩たちが後ろから猛攻。ぜんじろうは東京で、板ばさみに喘ぎ、袋小路に陥っていた。そんなさなかに訪れたニューヨーク。スタンダップコメディアンの迫真の芸が彼のハートに火を点け、希望に燃えていた十代のあの頃が再び甦ってきた。帰国後、ぜんじろうが取った行動とは? 次回、彼の心は大きく揺れ動く。
  *紳助の人間マンダラ
関西テレビで日曜日昼12時から放送されていた人間ドキュメントバラエティ。もてない男に彼女を作る「モテナイ君」、ランディーズが大道芸を身につけながら世界各国を旅するなど人気企画が多数。中條かな子とオール巨人のデュエットソング、キングコング、ロザン、ランディーズらのアイドルユニット「WEST SIDE」もこの番組から生まれた。

*関西人の脳みそ  関西人の行動原理をコインに換算するという画期的クイズバラエティ。時代が早すぎたか……。関西テレビ放送。

*スタンダップ  ナイトクラブなどでジョークを言って客を笑わせる芸人。主に、1人で舞台に立ち、ジョークを言う人。日本で言えば毒舌漫談家ということになるが、その内容のアブなさは桁違い。この世界からの出身者にエディ・マーフィー、ジム・キャリー、ロビン・ウイリアムスなどがいる。

*ロウ  1989/12公開。超過激なトークで人気絶頂期のエディ・マーフィが得意のスタンダップ・コメディ(日本で言うところの漫談)を披露するライブ・ドキュメント映画。引き締まった体に派手な衣装で登場する彼のカッコイイ姿もさることながら、その毒舌ぶりはマイケル・ジャクソンから始まって、白人はけなすは、ホモはおちょくるは。チ○ポだ、マ○コだを、例のマシンガン・トークでブチかましてくれる。ただ、字幕の関係で話の内容がダイレクトに伝わってこない点や言っている内容が理解出来ない点があり、日本人としては悔しい思いも。ちなみに“RAW”とは“剥き出し”の意味。
(以上、人名については敬称略)
 
TEXT■吉村智樹 テープ起こし■泡の屑 撮影■おーしま2号
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